妙見神社
徳島新聞ニュース6_01妙見神社拝殿が完成 鳴門の北灘町、もち投げなどで祝う
2003/5_31 妙見神社落成式 餅つき5_30 寄付名石
妙見神社は、平安時代末期に中国から伝わった北辰(北極星)信仰と結びつき妙見社として祀られるようになりました。
神道にては天之御中主神。仏教にては北辰妙見大菩薩。です。
櫛木の妙見神社は、道を踏み誤らないように、北極星を道標とし、星越峠の鎮守として作られたらしいです。
弘仁13年(822)の「日本霊異記」には「網を使う漁夫が海難にあい、妙見菩薩に祈って助かった話」という説話が載せられています。
明治初年に神仏分離の布告によって各神社の祭神が正された際、祭神は、高皇産靈神 (たかみむすびのかみ)・天御中主命・少彦名命となりました。
現在は櫛木一円の氏神で、道を踏み誤らないように、北極星を道標とし、狼信仰、妙なる犬に通じる、信仰から、海上交通安全の守護神、安産の神、として広く信仰され、遠近からの参拝者が多いです。
2002年11月3日の妙見神社


土俵
高皇産靈神 (たかみむすびのかみ)を奉る。
古代中国の道教、そしてその日本版である陰陽道では、北極星は最高位の神様として信仰の対象となった。北極星は天の車である北斗七星に乗って、宇宙を一年で一巡して、五行の気を循環させ、世界を統治すると考えられた。北極星と北斗七星はともに「北辰」とみなされ神格はしばしば混同された。一般的には北斗七星は北極紫微大帝に侍ると考えられた。また仏教では北極星を妙見菩薩あるいは尊星王菩薩として祀った。
前漢から後漢にかけての時代には、北極星(ポラリス・小熊座α)は中心から12度もずれて日周運動をしていた。より中心に近かった星は8.2度のずれのコカブ(小熊座β)だった。
高松塚古墳の天井壁画でも天帝は中心に位置してる訳ではない。北極星が中心に近づいてきたのは中世になってからである。
古墳壁画に描かれている青龍、白虎、朱雀、玄武は四方の神とされる。正倉院御物には北斗七星の象眼された亀の置物がある。亀は北方の神である玄武をあらわしている。
「続日本紀」宝亀8年(777)8月条や「日本後紀」大同3年(809)9月条には妙見寺という寺名がでてくる。平安初期には民衆に妙見菩薩に灯明を捧げる信仰が広まっていた。弘仁13年(822)の「日本霊異記」には「妙見菩薩が形を変えて、盗人を人に知らせた話」、「網を使う漁夫が海難にあい、妙見菩薩に祈って助かった話」という説話が載せられている。後に妙見菩薩は密教寺院で拝まれるようになり、中世には妙見菩薩は日蓮宗に取り入れられて広まった。
徳川家康が江戸の北方に位置する日光東照宮に祀られたのは、天の中心をなす北辰への信仰との同化を意図したものである。江戸の旗本にとっては、北天を拝むことは権現様となった家康を拝むことと等しかった。
近世になって、妙見菩薩は多くは日蓮宗寺院の管理のもとで拝まれるようになった。北辰や北斗七星が人の寿命をつかさどるという考えから、長命を願う庶民の信仰を集めたものである。
妙見さまは妙見菩薩とおっしゃって密教の仏様。この仏様は、北辰、つまり北極星を神格化したと言われて、東洋占星術と密接な関係がある。
東洋占星術は、安倍晴明の陰陽道と密教系の妙見信仰が有名。
遠州の山住神社には妙見様が祀ってあり、山形の犬の宮の裏手にある亀岡の文殊堂には星祭りがあり、天童市のべんべこ太郎の墓がある。成田山の敷地内には妙見堂があって山犬型の狛犬が守護し、密教や修験系の寺社には狼信仰と妙見信仰はつきもののようです。
北極星と妙見という名前とどう関係あるのか。
それは、北極星をみつけるための星座、北斗七星のすぐ脇に、輔星といって見えにくい小さな星があって、(ローマ時代には兵隊の目の検査にも使われていたという)、それで妙見で北斗星で北斗七星と考えられる。
べんべこ太郎 天童市下山口にある妙見神社 「妙見」とは「妙なる犬」に通じるのかもしれない。
天童市に妙見神社がある。むかしから、三年に一度、若い娘をこの妙見様に奉納することになっており、その年は丁度奉納の年になっていた。
ある日旅の坊さんがこの地へやって来て、庄屋の家に宿をとった。すると、なにやら家の中が沈んでいる。わけを聞いてみると、その庄屋の娘が御供に当たっていたのだった。坊さんは、「神様が若い娘を御供にとるなどとはおかしい」と思い、その夜、こっそり神社へ行ってみることにした。
拝殿に坐ってじっとしていると、真夜中の丑の刻、奥のほうでミシリと音がしたかと思うと、生暖かい風が吹いてきた。ふと天井を見上げると、無数の怪物の目がギョロギョロと坊さんを見ている。坊さんは恐ろしくなったが、じっとその場で経を唱えつづけたのだった。
すると、動かない坊さんに安心したのか、怪物はいっせいに、腹ヅツミを叩き始めた。月明かりで、それが狸どもであることが坊さんにもわかった。やがて、狸の頭らしいのが、ひときわ大きな声で歌い始めた。
「ぽんぽこぽん 信濃の国のべんべこ太郎に あのこと このこと 聞かせんな」
坊さんはこの歌を怪しいとにらみ、次の朝さっそく信濃の国へ旅立ち、べんべこ太郎が犬の名前であることがわかった。坊さんはすぐにその犬を借りて村に戻ると、娘のかわりにべんべこ太郎を妙見さまの境内に放してやった。
犬は猛然と吠えながら拝殿へ入り込み、激しい戦いの音が響き、やがて小半時もして音がしなくなった。
ようやく空が白んできて、村人と坊さんが妙見さまに行ってみると、境内から裏山のあちこちに狸の死骸がごろごろ転がり、傷だらけのべんべこ太郎が眠るように倒れていて、すでに息絶えていたのだという。そして村人は、べんべこ太郎に感謝し、神社の境内に墓を建てて葬ってやったのだという。
参考 『山形県最上地方の伝説』(東北出版企画)